職場で心を開くには?
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私たちの心の中には、自ら認めた事物を現実化する力があります。これが「心の眼力」です!心の眼力とは、心で表層を見抜き真実を見抜く能力のことです。
普段私たちは肉眼で見るものを過信しがちで、目の前の現象に惑わされやすいものです。しかし、心の眼(心の眼力)を持つことで、表層の奥にあるものを見通せるのです。例えば、逆境に立たされても「必ず抜け出せる」と信じれば、勇気を持って積極的に行動できる。また親は心の目で、反抗的な行動の裏に隠れた子供の純真さを見抜ける。子供を信頼するからこそ、子供からの信頼も得られるのだ。
意識をどこに向けるか――それが人生を左右する鍵である。しかし、どこに意識を集中すれば幸福な人生を得られるのか?心の目は何に注目すべきか?私たちは心をどこに置くべきか?
松下幸之助は「経営において最も重要なのは人生観である」と語った。つまり、人生をどう捉えるかが事業成功の鍵だというのだ。仕事でミスを連発する社員に対しても、松下は彼らを「優れた個人、偉大な人間」と見なした。目の前の従業員の状態に左右されていれば、決してそのような見方はできなかったでしょう。彼は確かに心の目で人の本質を見ていたのです。
重要なのは、直感的に見えるものに惑わされず、絶えず心の目で真実を探求し続けることです。ここで、心と肉眼の間で迷う必要はありません。簡単な秘訣をお教えしましょう。私たちの目を休ませるのです。一日一、二回で十分です。どうか目を閉じて集中する時間を自分に与えてください。そうすれば心の目で相手の本質を見抜けるようになります。同じ方法で自分自身に向き合えば、自分の本質が見え、心の奥底にある「あるべき姿」が人生で実現されるでしょう。では、あなたは何を「あるべき姿」と認めますか?
「思考症候群」
情報爆発の時代に生きる多くの人々は、一方的に知識を増やすだけで行動に移さない。この現象を「思考症候群」と呼ぶ。
「為せば成る、為さざれば成らず、万事これ然り。成らざるは人の為さざるなり」という上杉鷹山の言葉は、「為す」すなわち「行動」の重要性を教えてくれます。歴史に名を残す偉業であれ、人生における様々な目標や達成であれ、まずは行動を起こすことから始まるのです。
それでもなお、「行動の必要性は理解しているのに、結局行動に移せない」と嘆く人が増えている。特に現代人は情報爆発の時代に生き、知識を一方的に増やすだけで行動に移さない人が多く、「入力」はできても「出力」ができない。この現象は「思考症候群」(口先だけ)と呼ばれる。
では、私たちが最終的に行動を起こせなかった原因は何だろうか?ここでは主に三つの理由を挙げる。
一つ目は、行動を起こす動機が弱く、行動によって得られる結果を強く望んでいないこと。言い換えれば、結果にそれほど重要な意味を感じていないのだ。ここで注意してほしいのは、私たちは「こうしなければ損をする」「こうすれば得がある」といった直感的な成果や意味に反応しやすく、すぐに損得が判断できることだけを行いがちだということだ。一方で、成果や意義が直観的に見えないことには鈍感になりがちです。
行動を起こさなかった二つ目の理由は、どこから手をつければ良いか分からなかったことです。どんなに大きな夢でも、実現への道は最初の一歩から始まります。たとえ最初は小さな一歩でも構いません。必ず今すぐ行動に移すことを実践してください。最初の一歩を踏み出すことが何よりも重要です。
三つ目の理由は、感情が整うのを待ち続けていたことです。「やる気が湧いたら行動しよう」と考えていると、永遠にやる気は湧きません。なぜなら「やる気」という不確かな要素に依存していると、結局行動に移せないからです。
また、失敗を恐れるあまり行動を決断できない人もいます。「この恐怖心を克服してから行動しよう」と考えている人も、結局行動に移せません。恐怖心はそう簡単に克服できるものではないからです。
誠実さと真心
私たちは物事を行う前に、順調に、巧みに、見栄え良くやり遂げたいと考えがちで、結果としてかえって停滞してしまうことがある。「うまくできなくても構わない、感覚のままにやればいい」と思えば、勇気が湧いてくる。
結果や効率を過度に重視すると、自分の誠実さや真心を見失い、最も貴重な自己成長の機会を逃してしまう!
俳優の片岡鶴太郎は画家として数多くの優れた作品を残している。以前彼と食事をした際、鶴太郎が絵を描こうと思ったのは40歳頃だと知った。それまで絵に触れたこともなければ、美術館に行ったこともなかった。絵に興味を持ったきっかけは画家・村上豊氏の言葉だった。「僕は絵が下手で、不器用だけど仕方ない。感じたことをありのままに表現できればそれでいいんだ」と。この言葉に、絵に自信のなかった鶴太郎は勇気づけられ、美術の道を歩み始めた。
ちなみに鶴太郎は右利きで、ペンも箸も右手で持つが、絵を描く時は左手で描く。右手で描くと確かに上手に描けるが、あまりに器用すぎるのだ。左手で描く時こそ、心を込めて一筆一筆、見たものをありのままに描き出せる。まさにこの絵を描く過程で誠実に心を込めたからこそ、鶴太郎の書と絵は言葉では表せない情熱とエネルギーを私たちに伝えてくれるのだ。
現代社会では、人々は目に見える結果ばかりを重視する。「いかに効率的に、いかに巧みに、いかに見事に物事を成し遂げられるか」が大多数の関心事となっている。もちろん、効率的に物事を進められるのは素晴らしいことであり、そのための戦略やコツ、テクニックを身につけることも有用だ。しかし、結果や効率を過度に重視すると、過程における自身の状態を見失ってしまう。例えば、戦略やコツ、テクニックばかりに頼っていると、誠実さや真心を見失い、最も貴重な自己成長の機会を逃してしまうのではないか?
『心理生態学』の中で、中沢新一はこう述べている。「賢い人ほど、結局は安定を追い求めることに陥る。いわゆる賢さとは、周囲の人よりほんの少し先行しているに過ぎず、せいぜい二、三歩の差だ。彼らは往々にして自らの賢さを資本として富を得ようとする」
中沢氏が言う「賢さ」とは、「知識と知恵に依存した生き方」と理解できる。知識と知恵に依存すると、人は得失を計算しがちになる。そして「どうすれば賢く生きて幸せになれるか」ばかりを考え、安定した生活状態に陥ってしまう。こうして人生は「人間性の発展」や「闘志の高揚」から次第に遠ざかっていく。
中国古典『韓非子』には「巧詐不如拙誠(巧妙な欺瞞は拙い誠実さに及ばない)」とある。つまり、一見すると巧詐(技巧や策略で人を欺くこと)は短期的には効果があるように見えるが、長期的には拙誠(愚直で不器用ながらも誠意に満ちていること)こそが人の心を掴むということである。
また、『菜根譚』には「文は拙をもって進み、道は拙をもって成る」とある。つまり、文章は技巧を弄するのではなく、飾らない拙い筆致で進歩を求めるべきだ。道徳もまた、愚鈍な者こそが真に成就できるものである。この「拙」という一字には無限の意味が込められている。
一流の人材に共通する特徴をご存知だろうか?
一流人材の共通点
一流と称される人材は皆、非常に謙虚である。この謙虚さは「感謝の心」と「真の自信」に由来する。
私は様々な人に出会ってきたが、学者、起業家、作家、その他の職業に従事する人々の中で、一流と呼ばれる人々は皆非常に謙虚である。その分野で権威や泰斗と見なされる人々は、決して自らの能力や地位を誇りに思うことはなく、常に「私はまだまだだ」と言い、決して自らの才能や業績を誇示しない。こうした慎み深い言葉を耳にし、心に刻むたび、自らの小ささを痛感し、自然と畏敬の念が湧いてくる。
『老子』に「上善若水」とある。「上善」とは水のような最高の生き方である。水は常に低い所へ流れ、他と争うことがない。水は低い場所に身を置く謙虚さと、形を自在に変える霊性を持つ。これは人間が到達すべき最高の境地である。
頂点に立つ人々が常に自己を省み、人格を深く大きく成長させ続けられるのは、まさにこの謙虚さゆえである。この謙虚さは以下の二点に由来する。
第一の源は「感謝の精神」である。
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